2007.05.23 (Wed)
音楽
明日から自転車通勤、いや本日から自転車帰宅・・・。
車の修理もしばらく終わらないし、最近お腹が出てきたしちょうど良いか・・・と言うことで自転車を整備しました。
整備と言っても洗って、チェーンに油さして空気入れただけだけど。
今日からは自転車小僧になります。
怖いのは「放し飼いの犬」だね・・・。
ところで、今日ギターの練習をしていて、友人と音楽について議論となりました。
バッハの話からそのような会話になったのですが、ちょっと面白かったのでカキコします。
私は理論的に物事を知るというのは大好きなタチで、音楽にもその姿勢はおそらく現れていると思います。
特にバッハを演奏するときには、不可能ですが一音一音すべての音符に関して「なぜそこにあるのか、どうしてここでこの音が出てくるのか」というのを知りたいと思ったりします。
ずーっとある曲を引き込んでいて、とりあえず楽譜通りに弾くものの、なんとなく「ここの音は、こう・・・の方がいい気がする」と思ったりすることがしばしばあります。
しかし、その曲についてレッスンを受けたりして、その疑問を聞いてみたときに明解な答えが返ってくると「なあるほど、それでか!」と感じて、その後はむしろその音の場所が好きになったりする・・・。
先生が言っていました「バッハはきっと数学ができる人だったに違いない、と言うくらい理論的に音楽が作られている・・・。」
昔、習った先生も同じようなことを言っていました。
う〜ん、僕も何となくそう思います、分かったつもりだけかも知れませんが。
他のクラシック音楽にも感じますが、とくにバッハには「形式美」というものが感じられて、好きなのかも知れません。
理屈っぽい性格にバチッとはまるのかしらん?
するとその友人はこのように言いました。
「いやいやそうじゃない、音楽というのは形式とかそういうのは二の次で、楽しいことが大事で、そんなのは好きじゃない」
彼の意見はこうでした。
音楽というのは聞いてもらう人がいなければ、そんなのは音楽じゃない、音楽は対話であり言葉だからそんな形式にとらわれているものは嫌いなんだ。
例えば小学生が音楽の理論も知らずにギターをいじくって、自分なりに練習して何かを聞かせてくれた、それは素晴らしい音楽だった、それこそが音楽である。
理論や学問にとらわれず自分の思うままに演奏して、それが自分自身の表現になる、それが面白いし、人びとに感動を与えるんだ、音楽はそうでなくてはならない。
なるほど、何となくわかります。
しかし・・・
確かにそういうのも音楽だと思うし、そういう音楽を嫌いではない。
音楽とは感情を載せる「自己表現」であったり、ある意味「言葉」であるとも思う。
彼の意見を否定はしないけど、僕は音楽というのはもっと違った側面があるんだと思っている。
彼は観客のいないような自己満足の音楽は「そんなのただのオ○ニーだ!ダメだダメだ。」といって否定してましたが、それは違うなと思った。
一人で一生懸命練習して、ある日今まで弾くことができなかった箇所が、弾けるようになる。そしてより上質な音楽を自分の指が奏でていることに感動する・・・。
そしてまたもっと音楽が好きになる・・・。
そこで産まれる「達成感」は心を癒してくれる一つの薬、成長させてくれる肥やしでもあると思います。
例え誰が聞いてくれてなくたって、そこには「音楽」があり、喜びがある。
それで良いのではないでしょうかね。
それを「○ナニープレイ」というのであれば、それも結構でしょう。
「オナ○ーの何が悪い!」 ┗(|||`□´|||)┛ンガァァ!!
ま、あんまりすぎるといけないね・・・。(;ノД`)ダメ
とりあえず僕は、ある楽曲があるとすれば、できれば作曲家の意図も理解して、すべてを表現した上で、そこに自分の感情をリンクさせて自己表現のようなものを行っていくことに「形式美」を越えた「音楽の美」というものがあると思う。
以前先生が「とりあえず理論は無視して弾きこんでくと、そのうち何となく分かってくるよ、どこで強く弾くべきか、弱く弾くべきか。それから曲の解釈を実際にレッスンでやっていくと理解しやすいよ。」
と言っていたことがありました。
「えぇ〜? 本当に? それって音楽の素養があってこそ感覚ではないでしょうかね?」と思いましたが、実際にやってみると「なるほど」と思う部分も出てきてちょっと納得しました。
実際のレッスンで、自分の思い描いた表現「強弱、テンポ」などの感覚が先生の説明と合致していると「やっぱり良かった」と自信もつくし、その部分が好きになります。
また逆に違っていると「何で?」とふてくされながらも「その理由」を知りたくなり、理解できるとそのような演奏を心がけられます。
理解できてできるようになると、うれしくなっても来るしね。
もしかした先生なりに私の感性を鍛えてくれたのかも知れません。
なかなか得難い訓練でしたね、時間はかかるけど。
ところで話しはガラガラっと変わって、本日のブログ中に「わいせつ」な単語を含む描写が多かったと思われますがお詫び申し上げます。
<(__)>
ちょっとした豆知識ですが、その「わいせつな単語」の語源について。
もし間違ってたらコメント下さい。
オ○ニー(Onanie)は、「旧約聖書」の創世記の叙述に由来する。
創世記にオナンという名の男が登場する。
彼は兄が早死にしたため、兄の代わりに子孫を残すべく兄嫁と結婚させられた。しかしオナンは兄の為に子を残すことを嫌い、性交時は精液を膣の中に放出せず、寸前で陰茎を抜き精液を地に漏らして避妊をしようとした。
寸止めってやつですな・・・
すなわちオナンがおこなったのは膣外射精であるが、語義が転じて生殖を目的としない射精行為としてオナニーが使われるようになった。
ちなみになぜオナンは兄のために子を残すことを拒否したかというと、兄嫁に子が出来てしまうと父の遺産はその子のものになってしまう。
兄嫁に子が出来なければ遺産は次男であるオナンのものとなるはずだったとも言われる。
よく分かりませんが、当時の掟により言われていることだが、聖書にはそこまでのことは書いていないそうで・・・。
ちなみに「ドイツ語」です
くだらない知識ですが、誰に教わったかというと・・・
・・・教会の神父様です。
ウソ━(||゚艸゚)(||゚艸゚||)(゚艸゚||)━ン?!
車の修理もしばらく終わらないし、最近お腹が出てきたしちょうど良いか・・・と言うことで自転車を整備しました。
整備と言っても洗って、チェーンに油さして空気入れただけだけど。
今日からは自転車小僧になります。
怖いのは「放し飼いの犬」だね・・・。
ところで、今日ギターの練習をしていて、友人と音楽について議論となりました。
バッハの話からそのような会話になったのですが、ちょっと面白かったのでカキコします。
私は理論的に物事を知るというのは大好きなタチで、音楽にもその姿勢はおそらく現れていると思います。
特にバッハを演奏するときには、不可能ですが一音一音すべての音符に関して「なぜそこにあるのか、どうしてここでこの音が出てくるのか」というのを知りたいと思ったりします。
ずーっとある曲を引き込んでいて、とりあえず楽譜通りに弾くものの、なんとなく「ここの音は、こう・・・の方がいい気がする」と思ったりすることがしばしばあります。
しかし、その曲についてレッスンを受けたりして、その疑問を聞いてみたときに明解な答えが返ってくると「なあるほど、それでか!」と感じて、その後はむしろその音の場所が好きになったりする・・・。
先生が言っていました「バッハはきっと数学ができる人だったに違いない、と言うくらい理論的に音楽が作られている・・・。」
昔、習った先生も同じようなことを言っていました。
う〜ん、僕も何となくそう思います、分かったつもりだけかも知れませんが。
他のクラシック音楽にも感じますが、とくにバッハには「形式美」というものが感じられて、好きなのかも知れません。
理屈っぽい性格にバチッとはまるのかしらん?
するとその友人はこのように言いました。
「いやいやそうじゃない、音楽というのは形式とかそういうのは二の次で、楽しいことが大事で、そんなのは好きじゃない」
彼の意見はこうでした。
音楽というのは聞いてもらう人がいなければ、そんなのは音楽じゃない、音楽は対話であり言葉だからそんな形式にとらわれているものは嫌いなんだ。
例えば小学生が音楽の理論も知らずにギターをいじくって、自分なりに練習して何かを聞かせてくれた、それは素晴らしい音楽だった、それこそが音楽である。
理論や学問にとらわれず自分の思うままに演奏して、それが自分自身の表現になる、それが面白いし、人びとに感動を与えるんだ、音楽はそうでなくてはならない。
なるほど、何となくわかります。
しかし・・・
確かにそういうのも音楽だと思うし、そういう音楽を嫌いではない。
音楽とは感情を載せる「自己表現」であったり、ある意味「言葉」であるとも思う。
彼の意見を否定はしないけど、僕は音楽というのはもっと違った側面があるんだと思っている。
彼は観客のいないような自己満足の音楽は「そんなのただのオ○ニーだ!ダメだダメだ。」といって否定してましたが、それは違うなと思った。
一人で一生懸命練習して、ある日今まで弾くことができなかった箇所が、弾けるようになる。そしてより上質な音楽を自分の指が奏でていることに感動する・・・。
そしてまたもっと音楽が好きになる・・・。
そこで産まれる「達成感」は心を癒してくれる一つの薬、成長させてくれる肥やしでもあると思います。
例え誰が聞いてくれてなくたって、そこには「音楽」があり、喜びがある。
それで良いのではないでしょうかね。
それを「○ナニープレイ」というのであれば、それも結構でしょう。
「オナ○ーの何が悪い!」 ┗(|||`□´|||)┛ンガァァ!!
ま、あんまりすぎるといけないね・・・。(;ノД`)ダメ
とりあえず僕は、ある楽曲があるとすれば、できれば作曲家の意図も理解して、すべてを表現した上で、そこに自分の感情をリンクさせて自己表現のようなものを行っていくことに「形式美」を越えた「音楽の美」というものがあると思う。
以前先生が「とりあえず理論は無視して弾きこんでくと、そのうち何となく分かってくるよ、どこで強く弾くべきか、弱く弾くべきか。それから曲の解釈を実際にレッスンでやっていくと理解しやすいよ。」
と言っていたことがありました。
「えぇ〜? 本当に? それって音楽の素養があってこそ感覚ではないでしょうかね?」と思いましたが、実際にやってみると「なるほど」と思う部分も出てきてちょっと納得しました。
実際のレッスンで、自分の思い描いた表現「強弱、テンポ」などの感覚が先生の説明と合致していると「やっぱり良かった」と自信もつくし、その部分が好きになります。
また逆に違っていると「何で?」とふてくされながらも「その理由」を知りたくなり、理解できるとそのような演奏を心がけられます。
理解できてできるようになると、うれしくなっても来るしね。
もしかした先生なりに私の感性を鍛えてくれたのかも知れません。
なかなか得難い訓練でしたね、時間はかかるけど。
ところで話しはガラガラっと変わって、本日のブログ中に「わいせつ」な単語を含む描写が多かったと思われますがお詫び申し上げます。
<(__)>
ちょっとした豆知識ですが、その「わいせつな単語」の語源について。
もし間違ってたらコメント下さい。
オ○ニー(Onanie)は、「旧約聖書」の創世記の叙述に由来する。
創世記にオナンという名の男が登場する。
彼は兄が早死にしたため、兄の代わりに子孫を残すべく兄嫁と結婚させられた。しかしオナンは兄の為に子を残すことを嫌い、性交時は精液を膣の中に放出せず、寸前で陰茎を抜き精液を地に漏らして避妊をしようとした。
寸止めってやつですな・・・
すなわちオナンがおこなったのは膣外射精であるが、語義が転じて生殖を目的としない射精行為としてオナニーが使われるようになった。
ちなみになぜオナンは兄のために子を残すことを拒否したかというと、兄嫁に子が出来てしまうと父の遺産はその子のものになってしまう。
兄嫁に子が出来なければ遺産は次男であるオナンのものとなるはずだったとも言われる。
よく分かりませんが、当時の掟により言われていることだが、聖書にはそこまでのことは書いていないそうで・・・。
ちなみに「ドイツ語」です
くだらない知識ですが、誰に教わったかというと・・・
・・・教会の神父様です。
ウソ━(||゚艸゚)(||゚艸゚||)(゚艸゚||)━ン?!
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