2007.11.19 (Mon)
薬師古道探訪 その2
※本日は2話連続となっております。初めての方は、前回のエントリーからご覧下さい。
入り口のフクロウさんにご挨拶して、中へ入っていった。
すると、石碑と地蔵尊が左側に見えた。地蔵様に「安永」「7」と言う文字が見えるため、おそらく安永7年(1778年)のものだろう。230年前か・・・歴史をかんじますね。石碑を守護するように後ろに立つ木にも迫力と時の流れを感じます。

少し先には池があり、その手前に「石の階段」がある、これも素敵に苔むしていて、風情がとってもいい。そこを1段1段下りていく。

薬師堂手前には、自然発生的なのか、人工的なのか池があり、「弁天池」と名前が付いていて、祠が設置されている。しかしどうやらこの「弁天池」という名前、以前からついていたものではなく、つい最近になって、ある脚本家が思いつき半分で「これは弁天池だ!」と言ったことからその名前が付いたという噂もあるが・・・。

私も農業土木をやっているので、技術者としての性格上、池を見るとちゃんと水が循環しているのか?とか、水質はどうか?とか、水の流入、排出はどうなっているのか?という細かいことが気になります。
池の水は長い間帯水しているようで、アオコが発生しており、また大きな鯉のような魚もいる雰囲気はない。しかし小さな魚のような生物は頻繁に波紋を残して潜っていくようなので、いることはいるらしい。底には落ち葉や木の実がびっしりと堆積して、余り良い環境ではなさそうだが、少しずつ山水の流入はあるようだ。竹を利用した「手水」(ちょうず)があった。これが池の水の源らしい。みずを含んでみたら、ふんわりと柔らかい水だった。山の恵みを一杯に含んでるのだろう。

手水の脇には梵語(サンスクリット文字)が刻まれた石碑があった。何とも歴史を感じる。
いよいよ薬師堂だ・・・しかし残念なことに今は改修工事中で、ご本尊も修復のため別の場所に移動されていると言うことだった、お堂は古く、間違えば抜けてしまいそうな雰囲気まである。ま、修復されるのならばその方が良いだろう。

それで、日曜日だったからか、作業者もいない・・・これはまたとないチャンスと思い、足場に登ってみた。せっかく来てもご本尊には会えなかったが普段では見られない場所から古道を見ることができた。屋根の高さから写してみました。

前回の書き込みで、お稲荷様が赤く塗られたのは「悪質ないたずら」と分かった理由はこれです。なんと本道の裏に赤と青のスプレーでイタズラ書きがされているのです。なんともバカ野郎がいるものです。見ていると切なくなりました。わざわざこんな所今でやってきてイタズラ書きをして喜んでいる人たちがいる・・・なんてことだ。おそらくお稲荷さんに色を付けたのも同じ連中だろう・・・。

きっと彼らはこんなイタズラ書きのことは忘れているでしょう、しかしこれを見た人たち、特に信仰深い人たちの心は傷つけられることなんかおかまいなし、むしろ楽しんでるだろう。「OSAKA」とか「IRA」とか名前などが書いてあるようですが、なにを考えているのやら。ずーっと自分の「恥部」が残るとは思わなかったのでしょうか? 改修工事で消されるとは思いますがね・・・。ま、我々が憤らなくとも必ず悪いことが起きるに違いありません、その方が哀れですね。
しかし「IRA」ってなんだ? イングランド系のテロリストを気取っているのか? それともグループ名か? 何でもいいや・・・
周辺は、このお寺で管理していたと思われる、墓地なのか、歴代の住職のお墓なのか多数の、石仏・石像・石碑等がありました。
右側の写真は、何とも不思議で沢山の石仏?お地蔵様?が寄り集まってまるで一つのモニュメントのような風情をしておりました、何ともいい感じです。

何カ所かにこういったお墓のような石碑の集まりがあるのですが、中には「中村本家」とか「鈴木家」とか、まるで近所のお墓のような者もあります。しかし完全に墓守もいなくなり、長い間そのままにされていたようで、すっかり風景の一部となっています。

その足もとに落ちていた? 石仏の笑顔が何とも柔和で素敵でした。手を横にかざしてるので、如意輪観音(にょいりんかんのん)だと思われます・・・。
そして石像群の場所から上を見上げると、何とも立派な木がまるで森の守護者のようにそびえていました。

見回してみると、この辺りには近隣ほかの山では見られないような、広葉樹、落葉樹の大木が多いことに気づく。そのせいでしょうか、ここの場所は非常に安らぎを与えてくれるような雰囲気を醸し出しています。100年ほど前にはあった森の暖かさと、人の営みの緩やかな融合と共存、その時の空気がまだ残っているかのような安らかな空気を感じ取れます。だからきっと癒される気持ちになるのでしょう。ずーっとここにいたい気になりました。
筑波山近郊は、森林伐採が進められて、その多くは杉や檜の人工樹林とその形を変えています。一つの問題として、そういった人工林は木材価格の急騰と共に管理・伐採されなくなり、細く長く密集した杉・檜の林を形成します。そういった林は生態系も貧しく、光が届かない下生えは暗闇や湿地でも育つシダ類がはびこります。そのせいか、そういった林の中は、無機質で寂しい雰囲気で満たされています。植物の悲鳴が聞こえるかのような、寂しさを感じます。
そのようななかで、この場所の雑木林が守られてきたのは「鎮守の森」としての意味をもって守られてきたのかもしれません。足下は長年降り積もった落ち葉や木の実で柔らかく覆われて歩いていても心地よく、そこには様々な虫や生物たちが豊かな生態系を形作っています。
素敵な場所だ・・・補修整備が終わったときにまた来てみたいと思うが、間に合うだろうか?
できればこの風情を残したまま、余り人がワンサと来ないで欲しいと思う。人が沢山訪れる場所になると、中には心ない人もいて、壊されたり、せっかく風情良く苔むしているその苔に傷を付けてイタズラ書きをしたりする輩が必ず出てくる。このスプレー落書きがいい例だ。
しかし観光資源としての価値を認められないと、行政が修復費用などを出さないのも現実だ・・・バランスは難しいと思う。
私自身にしても、こういった場所が素敵で、人から守りたいと思えばわざわざブログで紹介しなければいいかも、と思う。しかしこの薬師堂に興味を持った他の誰か、または整備をやっている行政などがいずれは何らかの形で公開して認知を広げていこうとするだろう。それはしょうがない。だったら、自分なりにこういう場所があると言うことを紹介して「みんなも行ってごらんよ!」と呼びかけるだけではなく、こういう場所のどこが素晴らしいか、なにを残すべきか、どう守っていくべきか考えてみませんか、という言葉を投げかけられれば良いのかな?などと思ってみました。
ここは素敵な場所です・・・また来ようと思う。
日本人の信仰心の深さは、自然の四季豊かなこの風景にこそ息づいている気がしました。
入り口のフクロウさんにご挨拶して、中へ入っていった。
すると、石碑と地蔵尊が左側に見えた。地蔵様に「安永」「7」と言う文字が見えるため、おそらく安永7年(1778年)のものだろう。230年前か・・・歴史をかんじますね。石碑を守護するように後ろに立つ木にも迫力と時の流れを感じます。

少し先には池があり、その手前に「石の階段」がある、これも素敵に苔むしていて、風情がとってもいい。そこを1段1段下りていく。

薬師堂手前には、自然発生的なのか、人工的なのか池があり、「弁天池」と名前が付いていて、祠が設置されている。しかしどうやらこの「弁天池」という名前、以前からついていたものではなく、つい最近になって、ある脚本家が思いつき半分で「これは弁天池だ!」と言ったことからその名前が付いたという噂もあるが・・・。

私も農業土木をやっているので、技術者としての性格上、池を見るとちゃんと水が循環しているのか?とか、水質はどうか?とか、水の流入、排出はどうなっているのか?という細かいことが気になります。
池の水は長い間帯水しているようで、アオコが発生しており、また大きな鯉のような魚もいる雰囲気はない。しかし小さな魚のような生物は頻繁に波紋を残して潜っていくようなので、いることはいるらしい。底には落ち葉や木の実がびっしりと堆積して、余り良い環境ではなさそうだが、少しずつ山水の流入はあるようだ。竹を利用した「手水」(ちょうず)があった。これが池の水の源らしい。みずを含んでみたら、ふんわりと柔らかい水だった。山の恵みを一杯に含んでるのだろう。

手水の脇には梵語(サンスクリット文字)が刻まれた石碑があった。何とも歴史を感じる。
いよいよ薬師堂だ・・・しかし残念なことに今は改修工事中で、ご本尊も修復のため別の場所に移動されていると言うことだった、お堂は古く、間違えば抜けてしまいそうな雰囲気まである。ま、修復されるのならばその方が良いだろう。

それで、日曜日だったからか、作業者もいない・・・これはまたとないチャンスと思い、足場に登ってみた。せっかく来てもご本尊には会えなかったが普段では見られない場所から古道を見ることができた。屋根の高さから写してみました。

前回の書き込みで、お稲荷様が赤く塗られたのは「悪質ないたずら」と分かった理由はこれです。なんと本道の裏に赤と青のスプレーでイタズラ書きがされているのです。なんともバカ野郎がいるものです。見ていると切なくなりました。わざわざこんな所今でやってきてイタズラ書きをして喜んでいる人たちがいる・・・なんてことだ。おそらくお稲荷さんに色を付けたのも同じ連中だろう・・・。

きっと彼らはこんなイタズラ書きのことは忘れているでしょう、しかしこれを見た人たち、特に信仰深い人たちの心は傷つけられることなんかおかまいなし、むしろ楽しんでるだろう。「OSAKA」とか「IRA」とか名前などが書いてあるようですが、なにを考えているのやら。ずーっと自分の「恥部」が残るとは思わなかったのでしょうか? 改修工事で消されるとは思いますがね・・・。ま、我々が憤らなくとも必ず悪いことが起きるに違いありません、その方が哀れですね。
しかし「IRA」ってなんだ? イングランド系のテロリストを気取っているのか? それともグループ名か? 何でもいいや・・・
周辺は、このお寺で管理していたと思われる、墓地なのか、歴代の住職のお墓なのか多数の、石仏・石像・石碑等がありました。
右側の写真は、何とも不思議で沢山の石仏?お地蔵様?が寄り集まってまるで一つのモニュメントのような風情をしておりました、何ともいい感じです。

何カ所かにこういったお墓のような石碑の集まりがあるのですが、中には「中村本家」とか「鈴木家」とか、まるで近所のお墓のような者もあります。しかし完全に墓守もいなくなり、長い間そのままにされていたようで、すっかり風景の一部となっています。

その足もとに落ちていた? 石仏の笑顔が何とも柔和で素敵でした。手を横にかざしてるので、如意輪観音(にょいりんかんのん)だと思われます・・・。
そして石像群の場所から上を見上げると、何とも立派な木がまるで森の守護者のようにそびえていました。

見回してみると、この辺りには近隣ほかの山では見られないような、広葉樹、落葉樹の大木が多いことに気づく。そのせいでしょうか、ここの場所は非常に安らぎを与えてくれるような雰囲気を醸し出しています。100年ほど前にはあった森の暖かさと、人の営みの緩やかな融合と共存、その時の空気がまだ残っているかのような安らかな空気を感じ取れます。だからきっと癒される気持ちになるのでしょう。ずーっとここにいたい気になりました。
筑波山近郊は、森林伐採が進められて、その多くは杉や檜の人工樹林とその形を変えています。一つの問題として、そういった人工林は木材価格の急騰と共に管理・伐採されなくなり、細く長く密集した杉・檜の林を形成します。そういった林は生態系も貧しく、光が届かない下生えは暗闇や湿地でも育つシダ類がはびこります。そのせいか、そういった林の中は、無機質で寂しい雰囲気で満たされています。植物の悲鳴が聞こえるかのような、寂しさを感じます。
そのようななかで、この場所の雑木林が守られてきたのは「鎮守の森」としての意味をもって守られてきたのかもしれません。足下は長年降り積もった落ち葉や木の実で柔らかく覆われて歩いていても心地よく、そこには様々な虫や生物たちが豊かな生態系を形作っています。
素敵な場所だ・・・補修整備が終わったときにまた来てみたいと思うが、間に合うだろうか?
できればこの風情を残したまま、余り人がワンサと来ないで欲しいと思う。人が沢山訪れる場所になると、中には心ない人もいて、壊されたり、せっかく風情良く苔むしているその苔に傷を付けてイタズラ書きをしたりする輩が必ず出てくる。このスプレー落書きがいい例だ。
しかし観光資源としての価値を認められないと、行政が修復費用などを出さないのも現実だ・・・バランスは難しいと思う。
私自身にしても、こういった場所が素敵で、人から守りたいと思えばわざわざブログで紹介しなければいいかも、と思う。しかしこの薬師堂に興味を持った他の誰か、または整備をやっている行政などがいずれは何らかの形で公開して認知を広げていこうとするだろう。それはしょうがない。だったら、自分なりにこういう場所があると言うことを紹介して「みんなも行ってごらんよ!」と呼びかけるだけではなく、こういう場所のどこが素晴らしいか、なにを残すべきか、どう守っていくべきか考えてみませんか、という言葉を投げかけられれば良いのかな?などと思ってみました。
ここは素敵な場所です・・・また来ようと思う。
日本人の信仰心の深さは、自然の四季豊かなこの風景にこそ息づいている気がしました。
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