2007.12.12 (Wed)
新しい仕事への迷い
先日書いたように、参加しようと意気込んで応募してみたペシャワール会からは「募集してません」の返事が来て、多少ヘコんでいる。
正直、ここから抜けて出られた後の目標を失った感じだ。
ま、カマキリのおかげで少しは落ち着いて物事を見られるようになったから、それから比べるとだいぶ良い。しかしこれからどうしようか?と考えてみると、やはり分からなくなる。夜中におかしな夢を見て目覚めることも多い。不安がぬぐいきれないんだろう。
それで自分でゆっくりと、どうしてこうなったかを考えてみた。
続けることができなくなったのは何故?
続ける自信がなくなった、というのは本当ではない。続けることはできたはずだ、ここを今まで通り、いや今まで以上に人に働きかけられる場所にする気持ちもあった。しかしこのままだと自分がおかしくなると感じた。自分とソリが合わない人がいる、と言うだけではない。その人を「憎らしい」と思うことがイヤになったのだ。このような気持ちを増幅させると絶対良くないことが起きる、そうなってからでは遅いのだ。またそれを解決しようとしても、どんどん悪い方向へ向かっていくのが手に取るように分かった。そして平静を装って、無理をしていたら体に影響が出た。受け入れようとしても体がついていかない、そんな事に気がついた。精神的にも追いつめられた。それを相談する人もいなかった。相談する人がいないのは自分が悪いんだろう、そういう人間関係しか築けなかった自分の責任だ。我慢していれば、そのうち事態は良い方向に向かい始めるかも知れない、と思っていた。でもその前に自分に自信がなくなった。このままでは自分にも、周りの人にも良くないとわかり始めた。
僕はできるだけ自分に正直でありたい、人の悪口を言うのはしたくない、できれば文句も言いたくない、人を憎みたくない・・・でもここにいると、そういう気持ち、マイナスの感情が否応なしに心に襲ってくる。独り言を呟くと文句ばかり言っている自分がいた。家の掃除なんかをしていると、独りでに口をついて出てくる。おかしい、いままでこんな自分はいなかった、明らかにおかしくなっている事を感じ始めた。あいつが悪い、こいつが気にくわない、どうして分かってくれないんだ・・・そんな思いばかりが抑圧された胸の中で渦巻いてくる。こんな自分が大嫌いだった。これ以上自分を嫌いになりたくない、自分を嫌いになると絶対良くないことが起きる。だから僕は逃げることを選んだ。
逃げることは悪いことだろうか? とどまって戦うこともできるだろうけど、それで傷つくのは自分だけではない、おそらくみんな残らず全員傷つく。収拾がつかなくなる恐れもある。僕にはそんな大事の責任を取る度胸も覚悟もない。いま退けば傷つくのは僕とそれを心配するわずかな人だけだろう、ごめんなさい。自分を守るために、僕は逃げ出す。戦いを起こすには疲れすぎた。
以前、師匠と呼んだ先生を諍いが起きたとき、僕は回りを巻き込んで戦いを起こした。でもその結果、修復しようのない溝が刻まれ、僕はそれを心底後悔した。だからもう戦いはまっぴらだったのかも知れない、いやきっとそうだ。戦わずにはいられないこの場所に嫌気がさしたとも言える。
自分のことを親身に心配してくれている人たちには本当に申し訳ないと思う。ある人は一生懸命、引き留めようとしてくれた。僕を理解してくれたある人は何も言わず無理に来引き留めようとはしなかった。今後の心配だけをしてくれた。自分の味方だと信じられる人々がいることに気づけないほど、自分は追いつめられていたんだと改めて気づく。でもこれも時間の巡り合わせでしょうね。
ただ、ギターは続けたい、しかしどう続けるか?という問題がある。今までのようには行かないだろう。ギターを思いっきり弾ける環境なんて言うのはなかなか手に入るものではない。家に音楽室でもあればいいが、実家にはそんなものはないし、隣の家とも結構近い。また、一人で続けるにも無理がある。先生がいないとなかなか評価をしてくれる人がいなくなる。ギターを知らない人たちに聞いてもらうことはできるだろう、喜んでもらえることもできると思う。ぷろほどでは無くても、それなりの演奏はできるようになった気はする。特にこの一年、むやみに難しい曲に挑戦するよりも、自分にあったレベルの曲を練習することを心がけた。その成果はあったと思う。3月に帰ったときも、お世話になった修道院で演奏を聴いてもらった。しかしそれだけだ、それ以上でもそれ以下でもない、そこには自己満足はあってもギターの修行の面から見た正当な評価はない。
ギターはどこでもできる、というのは間違いだろう。楽器と楽譜があればできるというものではない。環境が伴う必要がある。良い先生、良い仲間、良い場所、いろんなものがなければいけない。それが今後手にはいるかどうかは不明だ。だけど、ギターという素晴らしい楽器と音楽の素晴らしさを少しでも人に伝えられればと思う。今後の人生の中で、一人でも、二人でも僕の気持ちに共感する人が出てきたら、ギターを続ける意味があるというものだ。そう信じて指がなくならない限りは続けようと思う。
ここでは今までの人生の中で一番苦手な部分を学ぶことができたと思う。
自分で正しいと思うことが、人にとっても正しいとは限らない、正義の押しつけになると言うこと。そして人間、本質的に変わることができない部分が必ずあるんだと言うこと。性格が幼すぎて人を傷つけてでもそのスタイルを変えようとしない人がいる、でもそういう人は悪い人、と言うわけではない、だた自分が見えていないだけ。良い方向に向かわせてあげれば、その性格のまま正しい流れの中に向かわせてあげられれば、逆に相乗効果で大きな結果を生み出すことも考えられる。僕にはその方向性を与えてあげるだけの力量が、その流れを生み出すだけの知恵が無かったんだと思う、だから去ることになったのだ。
この場所、この町、この土地では様々な出逢いと別れを経験した、おそらく他の人生と考えると10年分以上の事を経験したと思う。
親しい友人が言った「そうかぁ、まだ合ってから2年しか経ってないんだね、もう10年くらいの付き合いをしているような気がするよ・・・濃い付き合いだね。」
うれしい言葉だった。僕は別段、特別な関係を作ろうとしたつもりはない、今までの他の友人とも同じような接し方をしてきたつもりだけど、それが良い関係を形作っているんだと。
後悔はしていない・・・というのはウソになるだろう。でも1年間悩み続けて出した結論に後ろめたい気持ちを持つことはやめよう。今はできるだけ、現状をしっかりと認識してジッとしてよう。この先の人生で、僕を必要としてくれる場所との巡り会いを信じて。
そんなことを思っていると、以前の職場から契約職員募集のお話が入ってきた。以前やっていた、研修指導員の仕事内容の一部を肩代わりしてやる仕事のようだ。それであれば経験もある、十分できる仕事だ。しかし以前の研修指導員ほどやりがいがあるとは思えない。
しかし今の時期にそういったお誘いがあったというのも、一つの巡り合わせではないかと思っている。かといって、この年で1年ごとに更新、最大3年間の契約社員をするというのも考えものだ、その先が全く見えない。ただ、国際協力の一端を担いつつも生活して手、情報を集めつつ次の自分のステージを探すというのも手かな?と考えてしまう。そして迷っている。返事するまでの期間はそう長くはない。
できれば一度は北海道に帰ってリセットしたい気がする。雪を見たい、冬の北海道でゆっくりと心を癒したい。ただ、地元では仕事がないと言うことは分かっている。そして音楽に携わるにしろ、国際協力に携わるにしろ、自分に向いている、全力をとして向かっていくような仕事に巡り合わせる確率はグッと減る。
ある道に進もうとするのであれば、北海道に帰るというのは必要なことだ。
その道に進みたい気がしている自分がいることも分かっている。ただ、まだ踏ん切りがつかない。その道に行くにはまだまだ修行が足りない気がする。行くのであれば、もっともっと色々な経験をしてから、勢いをつけて飛び込みたい。もしかしたら、今自分はそんな選択を迫られているのだろうか?
この時間を、今の自分を、どう生きていくかは常に迫られている気がする。もしかしたら今の自分は本当の人生の岐路に立っているかも知れない。右にゆけば、左にゆけば、それぞれの可能性が見えてくる。
苦しいな・・・誰かの言葉が欲しい。
いま自分は本当の意味での冬を迎えているんだろうか。
ただ・・・冬の時間が長いのも暖かい春の喜びを味わうには良い調味料になる。
雪の下からぽっかりと顔を出す薄緑の「ふきのとう」の香り、それが僕の思い描く「春」のイメージだ。
そんな穏やかな春・・・いいな。

八郷の春
正直、ここから抜けて出られた後の目標を失った感じだ。
ま、カマキリのおかげで少しは落ち着いて物事を見られるようになったから、それから比べるとだいぶ良い。しかしこれからどうしようか?と考えてみると、やはり分からなくなる。夜中におかしな夢を見て目覚めることも多い。不安がぬぐいきれないんだろう。
それで自分でゆっくりと、どうしてこうなったかを考えてみた。
続けることができなくなったのは何故?
続ける自信がなくなった、というのは本当ではない。続けることはできたはずだ、ここを今まで通り、いや今まで以上に人に働きかけられる場所にする気持ちもあった。しかしこのままだと自分がおかしくなると感じた。自分とソリが合わない人がいる、と言うだけではない。その人を「憎らしい」と思うことがイヤになったのだ。このような気持ちを増幅させると絶対良くないことが起きる、そうなってからでは遅いのだ。またそれを解決しようとしても、どんどん悪い方向へ向かっていくのが手に取るように分かった。そして平静を装って、無理をしていたら体に影響が出た。受け入れようとしても体がついていかない、そんな事に気がついた。精神的にも追いつめられた。それを相談する人もいなかった。相談する人がいないのは自分が悪いんだろう、そういう人間関係しか築けなかった自分の責任だ。我慢していれば、そのうち事態は良い方向に向かい始めるかも知れない、と思っていた。でもその前に自分に自信がなくなった。このままでは自分にも、周りの人にも良くないとわかり始めた。
僕はできるだけ自分に正直でありたい、人の悪口を言うのはしたくない、できれば文句も言いたくない、人を憎みたくない・・・でもここにいると、そういう気持ち、マイナスの感情が否応なしに心に襲ってくる。独り言を呟くと文句ばかり言っている自分がいた。家の掃除なんかをしていると、独りでに口をついて出てくる。おかしい、いままでこんな自分はいなかった、明らかにおかしくなっている事を感じ始めた。あいつが悪い、こいつが気にくわない、どうして分かってくれないんだ・・・そんな思いばかりが抑圧された胸の中で渦巻いてくる。こんな自分が大嫌いだった。これ以上自分を嫌いになりたくない、自分を嫌いになると絶対良くないことが起きる。だから僕は逃げることを選んだ。
逃げることは悪いことだろうか? とどまって戦うこともできるだろうけど、それで傷つくのは自分だけではない、おそらくみんな残らず全員傷つく。収拾がつかなくなる恐れもある。僕にはそんな大事の責任を取る度胸も覚悟もない。いま退けば傷つくのは僕とそれを心配するわずかな人だけだろう、ごめんなさい。自分を守るために、僕は逃げ出す。戦いを起こすには疲れすぎた。
以前、師匠と呼んだ先生を諍いが起きたとき、僕は回りを巻き込んで戦いを起こした。でもその結果、修復しようのない溝が刻まれ、僕はそれを心底後悔した。だからもう戦いはまっぴらだったのかも知れない、いやきっとそうだ。戦わずにはいられないこの場所に嫌気がさしたとも言える。
自分のことを親身に心配してくれている人たちには本当に申し訳ないと思う。ある人は一生懸命、引き留めようとしてくれた。僕を理解してくれたある人は何も言わず無理に来引き留めようとはしなかった。今後の心配だけをしてくれた。自分の味方だと信じられる人々がいることに気づけないほど、自分は追いつめられていたんだと改めて気づく。でもこれも時間の巡り合わせでしょうね。
ただ、ギターは続けたい、しかしどう続けるか?という問題がある。今までのようには行かないだろう。ギターを思いっきり弾ける環境なんて言うのはなかなか手に入るものではない。家に音楽室でもあればいいが、実家にはそんなものはないし、隣の家とも結構近い。また、一人で続けるにも無理がある。先生がいないとなかなか評価をしてくれる人がいなくなる。ギターを知らない人たちに聞いてもらうことはできるだろう、喜んでもらえることもできると思う。ぷろほどでは無くても、それなりの演奏はできるようになった気はする。特にこの一年、むやみに難しい曲に挑戦するよりも、自分にあったレベルの曲を練習することを心がけた。その成果はあったと思う。3月に帰ったときも、お世話になった修道院で演奏を聴いてもらった。しかしそれだけだ、それ以上でもそれ以下でもない、そこには自己満足はあってもギターの修行の面から見た正当な評価はない。
ギターはどこでもできる、というのは間違いだろう。楽器と楽譜があればできるというものではない。環境が伴う必要がある。良い先生、良い仲間、良い場所、いろんなものがなければいけない。それが今後手にはいるかどうかは不明だ。だけど、ギターという素晴らしい楽器と音楽の素晴らしさを少しでも人に伝えられればと思う。今後の人生の中で、一人でも、二人でも僕の気持ちに共感する人が出てきたら、ギターを続ける意味があるというものだ。そう信じて指がなくならない限りは続けようと思う。
ここでは今までの人生の中で一番苦手な部分を学ぶことができたと思う。
自分で正しいと思うことが、人にとっても正しいとは限らない、正義の押しつけになると言うこと。そして人間、本質的に変わることができない部分が必ずあるんだと言うこと。性格が幼すぎて人を傷つけてでもそのスタイルを変えようとしない人がいる、でもそういう人は悪い人、と言うわけではない、だた自分が見えていないだけ。良い方向に向かわせてあげれば、その性格のまま正しい流れの中に向かわせてあげられれば、逆に相乗効果で大きな結果を生み出すことも考えられる。僕にはその方向性を与えてあげるだけの力量が、その流れを生み出すだけの知恵が無かったんだと思う、だから去ることになったのだ。
この場所、この町、この土地では様々な出逢いと別れを経験した、おそらく他の人生と考えると10年分以上の事を経験したと思う。
親しい友人が言った「そうかぁ、まだ合ってから2年しか経ってないんだね、もう10年くらいの付き合いをしているような気がするよ・・・濃い付き合いだね。」
うれしい言葉だった。僕は別段、特別な関係を作ろうとしたつもりはない、今までの他の友人とも同じような接し方をしてきたつもりだけど、それが良い関係を形作っているんだと。
後悔はしていない・・・というのはウソになるだろう。でも1年間悩み続けて出した結論に後ろめたい気持ちを持つことはやめよう。今はできるだけ、現状をしっかりと認識してジッとしてよう。この先の人生で、僕を必要としてくれる場所との巡り会いを信じて。
そんなことを思っていると、以前の職場から契約職員募集のお話が入ってきた。以前やっていた、研修指導員の仕事内容の一部を肩代わりしてやる仕事のようだ。それであれば経験もある、十分できる仕事だ。しかし以前の研修指導員ほどやりがいがあるとは思えない。
しかし今の時期にそういったお誘いがあったというのも、一つの巡り合わせではないかと思っている。かといって、この年で1年ごとに更新、最大3年間の契約社員をするというのも考えものだ、その先が全く見えない。ただ、国際協力の一端を担いつつも生活して手、情報を集めつつ次の自分のステージを探すというのも手かな?と考えてしまう。そして迷っている。返事するまでの期間はそう長くはない。
できれば一度は北海道に帰ってリセットしたい気がする。雪を見たい、冬の北海道でゆっくりと心を癒したい。ただ、地元では仕事がないと言うことは分かっている。そして音楽に携わるにしろ、国際協力に携わるにしろ、自分に向いている、全力をとして向かっていくような仕事に巡り合わせる確率はグッと減る。
ある道に進もうとするのであれば、北海道に帰るというのは必要なことだ。
その道に進みたい気がしている自分がいることも分かっている。ただ、まだ踏ん切りがつかない。その道に行くにはまだまだ修行が足りない気がする。行くのであれば、もっともっと色々な経験をしてから、勢いをつけて飛び込みたい。もしかしたら、今自分はそんな選択を迫られているのだろうか?
この時間を、今の自分を、どう生きていくかは常に迫られている気がする。もしかしたら今の自分は本当の人生の岐路に立っているかも知れない。右にゆけば、左にゆけば、それぞれの可能性が見えてくる。
苦しいな・・・誰かの言葉が欲しい。
いま自分は本当の意味での冬を迎えているんだろうか。
ただ・・・冬の時間が長いのも暖かい春の喜びを味わうには良い調味料になる。
雪の下からぽっかりと顔を出す薄緑の「ふきのとう」の香り、それが僕の思い描く「春」のイメージだ。
そんな穏やかな春・・・いいな。

八郷の春
このコメントは管理人のみ閲覧できます
|
2007.12.12(水) 23:50 | |
【コメント編集】
音楽ブログ「もうつあるとの部屋」の管理人です。
少し、切ない文章でした。
私は思います。
そんなに考える必要はないですよ。
好きなギター曲でも奏でれば、忘れます。
音楽はいつもあなたに優しい。
だれかの口癖です。
とにかく考えすぎないこと、それが重要なのです。よかったら私のブログにもきてくださいね、コメントも待っています。ではがんばっえくださいね。
少し、切ない文章でした。
私は思います。
そんなに考える必要はないですよ。
好きなギター曲でも奏でれば、忘れます。
音楽はいつもあなたに優しい。
だれかの口癖です。
とにかく考えすぎないこと、それが重要なのです。よかったら私のブログにもきてくださいね、コメントも待っています。ではがんばっえくださいね。
以前、スペインから帰国したOさんの凱旋演奏会(筑波のレストラン)で、前座で弾いたバルベロイーホ弾きです。
覚えていらっしゃいますか?
ギター文化館、というより佐久間さん+ギター文化館の存在は、心のよりどころといえばいいのか分りませんが、私にとって大切なものでした。今日、ブログを拝見し驚きました。
現職って向いているのか?人間関係は・・って色々悩みますよね?
私もとある楽器屋を辞め、昨年10月転職しました。
このままとどまるか飛び出すか人生の分岐に大きく悩みました。
その判断が正しかったかは未だに分りません。
ただ、過去に判断して到達した今が最良と思う、そして自身の長所、これまで得たことをしっかり活かして生きてゆくことが大切だと思うようにしています。
今後のご活躍を楽しみにしています。
もしよければ私のブログにも遊びに来てください!
覚えていらっしゃいますか?
ギター文化館、というより佐久間さん+ギター文化館の存在は、心のよりどころといえばいいのか分りませんが、私にとって大切なものでした。今日、ブログを拝見し驚きました。
現職って向いているのか?人間関係は・・って色々悩みますよね?
私もとある楽器屋を辞め、昨年10月転職しました。
このままとどまるか飛び出すか人生の分岐に大きく悩みました。
その判断が正しかったかは未だに分りません。
ただ、過去に判断して到達した今が最良と思う、そして自身の長所、これまで得たことをしっかり活かして生きてゆくことが大切だと思うようにしています。
今後のご活躍を楽しみにしています。
もしよければ私のブログにも遊びに来てください!
バルベロさん、いやバルベロ・イーホさんといったほうがいいでしょうか?
コメントありがとうございます、ギタリストO島さんから聞いておりました、楽器店をやめたらしいというのは。いろいろあった事と思います。私も人には言えない色々がありました。
しかしここであった全てのことがこれからの自分の「肥やし」になると思っております。
ですので、ギター文化館に短期間でもかかわれた事を誇りに思って新しい生活を始める準備をしております。
ありがとうございました。
また会えるときは近いでしょう、そのときはよろしくお願いしますね。
コメントありがとうございます、ギタリストO島さんから聞いておりました、楽器店をやめたらしいというのは。いろいろあった事と思います。私も人には言えない色々がありました。
しかしここであった全てのことがこれからの自分の「肥やし」になると思っております。
ですので、ギター文化館に短期間でもかかわれた事を誇りに思って新しい生活を始める準備をしております。
ありがとうございました。
また会えるときは近いでしょう、そのときはよろしくお願いしますね。
りっきい |
2008.01.20(日) 18:13 | URL |
【コメント編集】
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
| BLOGTOP |

